MARTIN BIRCH(マーティン・バーチ)

マーティン・バーチは70年代前半には幾多の名プロデューサーと同じ様に、例えばフェイセス
の名作『馬の耳に念仏』などでエンジニアの仕事をしていたようだ。パープル・レーベル設立後
にその手腕は発揮され、新人‘SILVERHEAD’のアルバムをプロデュースすることに。その後
はお馴染みのディープ・パープル 〜 レインボー 〜 ホワイトスネイク という流れで一躍有名と
なった。80年代に入ってからもアイアン・メイデン、マイケル・シェンカー・グループ、ブラック・サ
バス等のハード・ロック・バンドを中心にプロデュースして活躍した。
そんな彼のプロデュース作から私の所有しているアーティストのアルバムを紹介しよう。



COME TASTE
THE BAND
(1975)

DEEP PURPLE
デイープ・パープル=リッチー・ブラックモアと思っていた当時、ブラックモアが
抜けたパープルには興味を失っていた。ましてや、トミー・ボーリンなんてギタリ
ストは誰だと思っていたのだから。ラジオで一回位聴いたが、これはパープル
ではないと思ったものだ。それがふとしたきっかけで25年振りに聴いてみたら
結構イケル。トミー・ボーリンに興味を持ったのも多いに関係していると思う。こ
のアルバムはそれまでのパープルと比べると確かに異質なのかもしれないが
第2期なんかとは全く違うバンドと思えばなんのことはないのである。9曲中7曲
にコンポーザーとして名を連ね、早くもその存在感を示したボーリンのギターが
光っているアルバムと言える。ファンキーなリズムとメロディをこのバンドにもた
らした功績は大きく、多少アメリカナイズされた部分が見られる。個人的には
Comin' Home’でのスライド・ギター、‘I Need Love’でのファンキーなギター・
ソロなどが気に入っている。
RAINBOW RISING
(1976)

BLACKMORE'S
RAINBOW
RAINBOWとしてのこの2枚目のアルバムよりコージー・パウウェルが参加して、
軽快ながらもずっしりとしたドラミングの中、逆に少し押さえ気味かなとも思え
るリッチーのギターに当時は不満を持ったものである。ムダなギター・ソロを一
切排除したそのギター・ワークは、バンドとしてのアンサンブルを考えてのもの
だったと思うが、やっぱりこの人は『お山の大将』が似合う。ラスト・ナンバーの
A Light In The Black’におけるスピーディーなギターがやはり一番素晴らしく
リッチーのギター・ソロ早く出て来い!と焦らすところが中々憎いところでありま
す。ドラム音をもう少し前面に出して欲しいかな、という印象を持ちましたが、ど
んなものでしょうか、バーチさん。それともCDだからかな?
OVER THE TOP
(1979)

COZY POWELL
これがまた凄いアルバムなのである。コージーファンならずともこのアルバム
は70年代ロック好き人間だったら是非とも持っていたいものだ。参加メンバー
を聞いて驚く無かれ…ジャック・ブルース、バーニー・マースデン、ゲイリー・ム
ーア、デイヴ・クレムソン、ドン・エイリー、マックス・ミドルトンといった怱怱たる
メンバーが顔を揃えた。オール・インストゥルメンタル、息をもつかせぬ力と力
の、そして技と技のぶつかり合いの連続であります。特に‘Killer’でのゲイリー
の炎ほとばしるギターに対するジャック・ブルース、コージーの攻防たるや凄
まじく、また‘Sweet Poison’‘The Loner’におけるジェフ・ベックを彷彿させる
クレムソンのギター(大好き!)にも聴き惚れてしまう。彼の初ソロ・アルバム。
THE BEST !
(1978 〜 1982)

WHITESNAKE
マーティン・バーチは79年のアルバム‘TROUBLE’から6枚続けてプロデュー
ス。実は私はデヴィッド・カヴァーデイルの声質が余り好きでないので、このベ
スト・アルバム一枚しか持ってないのである。ずっしりとしたハード・ロック・ナン
バーはジョン・ロード、イアン・ペイスらのメンバーらの演奏も手伝ってか、幾つ
かの曲にどうしてもディープ・パープルの陰影が見えてしまう。やはりこのバン
ドの持ち味はヒットした‘Fool For Your Loving’や‘Here I Go Again’などのナ
ンバーにおける、カヴァーデイルのソウルフルなヴォーカルを生かしたダイナミ
ックなハード・ロックと言えましょうか。
SUPER HITS
(1973 〜 1981)

BLUE OYSTER
CULT
彼等の初期のライヴ・アルバム『地獄の咆哮』は前にも紹介したが、今回は
もっと聴きやすくなった頃のベスト・アルバム。76年発表の‘Don't Fear The
Reaper’(邦題:死神)からグッとポップなサウンドに転向してそれまでの彼等
のヘヴィー・メタルなイメージを払拭した。その他77年の‘Godzilla’での日本
語の避難放送も印象に残るが、やはりライヴでは最後はお約束のフロント5人
揃い踏みギター・バトルをやっていたらしい。バーチは80年発表の‘Cultosa
ulus Erectus’と81年発表の‘Fire Of Unknown Origin’をプロデュース
した。

Forever , Cozy!